丑三つ時、洋ドラを見ながら徒然と

好きな人などいない。恋愛という意味において、であるが。
友愛は感じる。人として尊敬できるところがあれば性交も可能だ。と思っている。試みたことはないので漠然としたイメージではある。しかし、異性として意識してみると様々なことが気になってくる。特に最近気付いたことは、男性という造形がどうやら嫌いであるらしいことである。髭に始まる毛深いところからにおいに至るまで男性の外見に類するものが嫌いだ。
その点、ほとんどの女性は外見を気にする。化粧から服装、日焼けや脱毛まで気にする。その甲斐あって、社会で活躍する女性は一様に美しい。社会の要求水準に見事合格、いやそれ以上の成果をたたき出している。それも、毎日だ。同性だからわかる。世の女性たちは努力の上に存在している。
そこでふと思った。こういった努力の過程がなまじ見えるだけに女性の外見に対する努力が私の中で評価として蓄積されていき、時には「寝坊したからセットしないでそのまま来ちゃった」なんていう男性に対するマイナス評価が蓄積されていった結果なのではないだろうか。
男性は、「夏だから」なんていう理由で露出する部分を毎日剃って保湿クリームを塗って、などというしょうもない行為はしない。無論、女性でも気にならない人はそんなことしないだろう。だが、私はする。みっともない、恥ずかしいという価値観があるからだ。万が一剃り忘れたら翌日はどんなに暑くても上に羽織るカーディガンは袖を捲らない。高校生の頃、ポロシャツを着た友人が何かの拍子に腕をあげた。袖から見えた脇には処理をしていない毛がぼうぼうと覗いていた。私にはそのようなフェチはないので、きちんと処理をしないと知らないうちに他人から“処理をしない人”として見られてしまうと衝撃を受けた。多分、このあたりから始まったのだろう。

今、私には付き合っている人はいない。上のような考えを自分が持っていると気づいてしまった今、所謂「普通」のコースは歩めないという予感がする。親に孫の顔は見せて安心させたいし、祖母(生き残っているのは彼女だけ)も喜ばせてあげたい。LGBTについて知識はあるだろうが、なんだかんだいって、長女であり初孫である私が「普通」であることを微塵も疑ってないように感じる。期待に応えたいという感覚は持っているのだ。できるかどうかは別にして。

実家から離れたところで一人暮らしをしている。なんなら、犬も一匹抱えている。手のかかる子だが、そんな手間がむしろ愛しいほどに可愛い犬だ。余計、婚期など無風だ。矛盾している。子どもが欲しいと言っておきながら何の行動も起こしていない。白馬の王子様でも待っているのだろうか。うう、打っていて鳥肌が立った。そんな存在どこにもいないのは分かりきっている。来たとしても不審者だ。運命の人だって?気持ち悪い。幻想だ。他の人には有り得たとしても、私はそんなもの信じない。気持ち悪い。

閑話休題。幸い、仲のいい友人たちも「普通」とは少し外れた道をいっている。方向性は全く異なるものの安心感がある。今一番怖いのは、私だけが家庭に組み込まれることなく取り残されること。誰にも家族として選ばれないこと。

白状しよう。酒を飲んでいる。明日は休みだ。ひとまず、今回はここまで。また酔っぱらって気が向いたら書く。